“痛ましい悩み”から“ありふれた悩み”へ

コラムの更新が久しぶりになってしまいました。
今回は『“痛ましい悩み”から“ありふれた悩み”へ』をテーマにお届けします。

人は数えきれないほどの悩みを抱えて人生を歩んでいます。
対人関係がうまくいかないことに落ち込んだり、自分のせいだと悲観したり、自分はダメな人間だと絶望したり、問題を自分のことと捉えて苦しまれる方がいらっしゃいます。
反対に、どうしても他者が分かってくれないと不満を抱いたり、悪い他者から邪魔をされていると憤慨したり、周囲や社会が変わるべきだと苦悩したり、問題を環境のことと捉えて苦しまれる方もいます。

人はこれらの苦しみや悩みを何とか排除しようと様々に努力します。
信頼できる人に苦悩を相談し、周囲に窮状を訴える傍ら、様々なストレス解消法を試し、気分転換やリラックスを図って乗り越えようとされるでしょう。

それでも苦悩が排除されないとき、人はカウンセリングや心理療法など悩みの専門機関を求めます。
この“痛ましい悩み”は、当人のこころを攻撃し、侵食し、征服しようとします。
つまり“痛ましい悩み”とは、こころのなかに異物として存在しているのです。
そのため、こころを楽にするには、異物を排除するか消し去るしか方法がないように感じられます。

精神分析の創始者フロイトは、精神分析における回復を「痛ましい状態をありきたりの不幸な状態に変える」ことと述べています(ヒステリー研究)。
“痛ましい悩み”という異物を、“ありふれた悩み”としてこころのなかに置いておけるようになることが、カウンセリングや心理療法の目的の1つといえるでしょう(もちろん療法によって目的は異なりますが)。

異物を瞬時に劇的に解消することは非常に魅力的に映ります。
しかし、異物は次から次へとやってくるのです。
“痛ましい悩み”をじっくりと悩み尽くすことで得られる“ありふれた悩み”は、人生をリアルに確かに生きることに繋がると思っています。

                                         臨床心理士 諏訪

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